T's Party 1995
 織田さんの誕生日は3月11日で、それにちなんで、毎年3月くらいにファンクラブ主催の「T's Party」というイベントが行われています。当然いつも東京で開催されるので、行ってみたいな〜と思いながらもなかなか機会がなかったのですが、この1995年は、東京まで出かけてそのイベントに初めて参加してきました。他にも用事があったし。(数日間東京に滞在している間に、あの地下鉄サリン事件が発生したのでした・・・)

 この年の会場は渋谷のフォーラム8というところでした。この時のレポートは、T's Press Vol.18に詳しく載っていますので、私の印象に残った部分だけを書いておこうと思います。

 毎年パーティのオープニングでは昔の映像を編集したビデオを流しているようですが、この年も20分ほどの特別編集ビデオが流れました。思うんですけど、市販するのでなくていいですから、ファンクラブ会員対象に、過去の映像集ビデオ(もしくはDVD)なんて販売してくれないものですかねえ〜。MZAの4時間ライブのフルバージョンを!なんて贅沢は言いませんけど(本当は言いたい!)、初期のライブ映像を見てみたいです。特にデビュー当時の。さて、パーティの中では、織田さんプロデュースの新人たちのデモテープがいくつか披露されました。この年の春にデビューの新人バンド(ってもう解散してますが)Hollywood Motorsの曲やロカビリーバンドMAGICのシングル曲や夏にデビューしたBA−JI(これも解散しちゃいましたね)の曲など。

 そして恒例のミニライブです。ゲストのサックスプレイヤー勝田さんを伴ってギターとピアノを曲ごとに使い分けて5曲歌ってくれました。
 1 君の笑顔を守りたい
 2 いつの日か、きっと
 3 Lonely Boys, Lonely Girls
 4 TIMEU
 5 時の流れに
という選曲でした。4が聴けたのは貴重でしたね。

 そして最後は20人ずつ交代しながら織田さんを囲んで記念撮影会。後日、ファンクラブから写真が送られてきました。家宝ですな。
プロデューサーとしての活動再開
 もともと若い頃から自分の曲以外にもいろんなアーティストのプロデュースをしてきた織田さんですが、1991年に西城秀樹のアルバムプロデュースをして以来、作曲家として曲を数多く提供しても、プロデュースまではやっていなかったのです(自分の曲以外はね)。

 それがこの1995年は、自分の曲こそ発表していないものの(というよりこれからの数年はシングルすら出ません)、精力的にプロデューサーとして活動していました。手がけたアーティストは、Hollywood Motors(なんと1年で2枚もアルバムをリリース!)、MAGIC、BA-JI、そして11月には相川七瀬がデビューしています。

 T's PressVol.18のインタビューの中で織田さんはプロデュースに対する自分の考えを次のように語っています。

 例えば小室君の場合は、プロデューサーとしては、俺よりアーティスティックだよね。ある意味で彼は、凄く一貫性があるよね、小室カラーのように。彼と俺の最大の違いは、彼は歌えないから(笑)。だから、別のボーカルを立てないとしょうがないんだよね。アーティスティックな自分のやりたいことがあっても、それを表現する為に、いろんなヴォーカリストを使わざるを得ないんだよ。それを一人に固定しないで。メインでその為にやっていたのがTMの宇都宮君だったわけだけど。
 俺の場合は、もっと凄くいろんな音楽が好きだということがあってさ。でも、俺の持っているキャラクターと俺の声だけでなく、他のキャラクターで他の声でないと似合わないタイプの音楽も、俺は色々やりたいんだよね。だって俺が、"今日は爽やかな織田です!”って言って爽やかな音楽をして、”今日はリーゼントで来ました!”と言っても、人は納得してはくれないよね(笑)。それでも随分俺のアルバムは、結構とっちらかってるんだけど・・・。でも、もっと幅広くしたいわけだから、そのために”女の子の声でこういう音楽をやりたい!”とか”ロカビリーバンドでこういう音楽をしてみたい!”というのが俺の場合なんだよね。それも、人によってパターンは色々だよね。
(中略)
 自分のアルバムに関しては、「WHY」から後の作品というものは、プロデューサー的な視点を捨てよう捨てようとして、ヴォーカリストだったり、アーティストだったりする部分だけで、音楽をどんどん作ろうという風にやってたから。はっきり言って、プロデュース作品として自分のソロの作品は、失敗ばかり。
 
 FC:でも、織田さんの今までの自分の作品は、セルフ・プロデュースですよね。誰かをプロデュースに立てたという事はないんですよね。
 
 そこまでアーティストに、好きにさせるという状態は、他の人をプロデューサーに立てるとますます出来ないわけだからさ。結果的に、全部プロデュース作品としては失敗してるけどねえ、正直言うとねえ。だけどそれは、要するにアーティストにやりたい放題させている結果だからしょうがないということになるわけよ。いつでも人に作ってる方が、ある意味では質はいいんだよ。ただ、俺のソロアルバムというものは、やはり本質的な意味での”念”はこもってるよね(笑)。
 
 FC:プロデューサーとして、どうなった時が一番喜ばしい事なんでしょうか・例えば、アーティストだと自分の作品に対する評価が返ってきたりとか・・・。

 アーティストとしては、評価なんて関係ないよ!自分が”こういうものを作りたかった!”というだけで終わりだよ(笑)。アーティストとしての作業はどんどんそこに意識を集約していくからね。人がどう見るとか、自分の中のプロデューサーが”もっとこうすれば、一般に受け入れやすいよ”と言っても、もう全部どんどん却下しちゃう!逆に、プロデューサーとしては、人から評価されてなんぼのものだからね。普通、俺ぐらい売れないで、あんなにアルバム出し続けられる事はないからさ。やはり、売れないと色々状況がどんどん悪くなっていくからね。イイ状況に、どんどんそのアーティストを持っていってあげるためには、やはり売れないと話にならないからさ。具体的に数字としてちゃんと評価される事とか。でも最終的には、俺が聴いて楽しめる音楽を作らないと意味ないよね(笑)。

 ・・・なかなか興味深い発言ですねえ。

 そしてこのインタビューの締めくくりに、こんな発言も・・・。

 ひそかな計画として、昔のアルバムをトラックダウンし直したりしているものもあるんだ。それをまとめて、”本当は、こうしたかったんだ!”というものを出したい計画はあるんだけどね。これはでも、全然いつ出ることになるか分かんないけど、すきまを見計らってやっている状態だから。いつかは出ると思うので、いつか是非聴いてやってください。

 この発言からすでに8年経過しておりますが、いまだに出る気配なし(笑)。「いつか」というのはいつぐらいなんですかねえ、織田さん?初期の織田サウンドをこよなく愛する私としては非常に楽しみにしているのですが・・・。


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